ジョンソンの後を受けたリチャード・ニクソン(共和党)は、泥沼化したベトナムからの撤退を模索し始めた。アメリカ軍はベトナムからの段階的な撤退をはじめ、ついに1973年、ベトナムからの完全撤退を完了した。ベトナムでの死者は5万人以上に上り、心身ともに傷ついた帰還兵の社会復帰と市民からの蔑視が社会問題化した。ニクソンはその他にも、中華人民共和国との関係改善を図ったり、アポロ計画やベトナム戦争によって悪化した財政を立て直すため、ドルと金の兌換を停止するなど、外交、経済面においていくつかの新機軸を打ち出したものの、ウォーターゲート事件により辞任に追い込まれ、大統領の権威の低下、政治不信が始まった。
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ニクソンの跡を継いだジェラルド・R・フォード(共和党)がニクソンに対して恩赦を与えたことや、さらにこれに続くジミー・カーター(民主党)の政権運営が弱腰と批判された事から、70年代を通じて政治不信は解消されなかった。特に、イラン革命の際に占拠された大使館を救出する作戦が失敗し、数十名の海兵隊員を死なせた事は、国民の米軍に対する信頼を裏切ることとなった。さらには、この大使館問題が解決される際、裏取引があったことが後に明るみに出て大問題となった(イラン・コントラ事件)。
国内ではベビーブーマー後の世代によるモラルの低下が著しく、また高所得者と低所得者の格差が急激に開いていった。ケネディによって市民権を獲得した黒人も、白人による差別感情は短期間で拭えるものではなかった。高級職業につくことは難しく、貧しい生活が続いた。これらの要因によって市街地で犯罪が増加し、主だった大都市の中心ではことごとく低所得者や黒人・プエルトリコ人の暮らすスラム街が形成され、治安は最悪となった。高所得の白人は郊外の住宅地に移転し、都市のドーナツ化現象が進んだ。こういった米国の負の特徴は「アメリカ病」と呼ばれ、アメリカの影響下にある先進諸国共通の問題となっていった。政府は問題を改善する為に福祉に力を入れざるを得なくなり、70年代に福祉国家へ生まれ変わった。
こうした中で保守派、福音主義(w:Evangelicalism)、キリスト教根本主義、キリスト教右派団体の期待を背負って登場したのがロナルド・レーガン(共和党)である。レーガンはソ連を「悪の帝国」と規定し、それに対抗するためにSDI(スターウォーズ構想)をはじめるなど、それまでの柔軟な外交政策を強硬的なものに変更した。おりしもソ連がアフガニスタンへの侵攻を開始したため、冷戦は新たな高まりを見せた。そのためこの時期を「新冷戦」と言う。このような強攻策はレーガン政権に入り込んだ新保守主義(ネオコン)の影響が強く働いている。ネオコンはリベラルな民主党で勢力を伸ばしていたが、70年代の民主党の支持率低下によって見切りをつけ、大挙して共和党へ流れ込んだ。
レーガンは、軍事ではグレナダ侵攻を成功させ、ベトナムとイランで傷ついた軍の威信も取り戻したが、すぐにレバノン内戦で大使館と海兵隊が襲われ、200名以上の死者を出したことから、地上作戦には消極的になった。リビアとは長く対立し、戦闘機同士の空中戦や、旅客機爆破の報復攻撃などを行った。また、イギリスや日本といった同盟国との関係を重視し、これらの国とは蜜月の関係となった。オイルショック以来、奇跡的な経済成長を遂げた日本・西ドイツを影響下に置きながら、政治・経済・軍事を西側先進国の合議によって運営しようとするサミットが開催されるようになったが、1985年のプラザ合意でその影響力が発揮された。内政ではローマ・カトリックとキリスト教右派団体の主張にしたがって妊娠中絶を規制するなどした。この時代は60年代末までのニューディール絶頂期から保守的な時代へと大きく転換した時代である。
産業面では、半導体を用いるコンピュータを中心とした先端工業が発達し、シリコンバレーと呼ばれる半導体工業地帯が登場し、ハイテク草創期において技術がほぼ独占状態となった。一方、70年代から80年代にかけ、経済成長によって大国となった日本や西ドイツが自動車、家電、オーディオ機器などを次々に米国で展開した。特に日本製の製品は大衆的で高品質低価格として非常に人気となり、日本製自動車が全米の保有台数の4分の1から3分の1に迫るまでになった。また、米国の独占が続いたハイテク産業においても、80年代後半には日本企業が急成長してシェアを奪い、米国企業の危機感を煽った。このため、商務省と財界は日本に対して貿易不均衡の是正として様々な圧力をかけ、牛肉や柑橘類の自由貿易を認めさせたが、日本側も様々な手段で抵抗した為、すさまじい貿易摩擦へと展開した。米国内では、国民の不満を日本へ向けるための煽動報道が繰り返し行われ、90年代前半にかけ、「ジャパンバッシング」(日本叩き)と呼ばれる反日運動が国内を覆った。
レーガンの跡を継いだジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)は積極的な強硬政策を採り、パナマ侵攻と湾岸戦争を成功させ、軍の威信と信頼を取り戻した。また、上記のような反日感情を反映し、日本に対しては様々な圧力外交を行った。この露骨な圧力政策は、日本のバブル経済が崩壊する90年代半ばまで続いた。さらにブッシュの時代、ロス暴動をきっかけとして、国内に根強く残る人種差別感情や人種間対立が浮き彫りとなった。
1989年11月9日、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し、それを受けて12月3日のミハイル・ゴルバチョフとのマルタ会談では「冷戦の終結」が宣言された。こうしてアメリカのみならず、世界は新しい時代の幕開けを迎える事になる。
冷戦後 (1989-2000)
冷戦の終了後、まず最初に直面した問題は中東問題である。1991年イラクがクウェートに侵攻したことに対してアメリカ軍を中心とした多国籍軍が編成され、クウェートをイラクから解放することに成功した。これが湾岸戦争である。湾岸戦争はその現在まで続く中東問題の端緒ともなった。また、ソ連の崩壊は、自由主義陣営の中心であるアメリカの勝利を意味していたが、強硬姿勢を維持しつづけるために軍事予算は膨張し、アメリカの経済は双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)と呼ばれる状態に苦しめられていた。
ブッシュの後に登場したビル・クリントン(民主党)はこうした経済的不況を解消することに努力し、クリントンが大統領職を去るときにはこの状況は完全に解消され、アメリカはこれまでに無い好景気を謳歌することができた。これには副大統領のアルバート・ゴアが主張する情報スーパーハイウェイ構想など、IT産業を積極的に後押しした事もその助けとなっている。アメリカは1980年代から軍事目的として電話回線を使用した情報網の整備を行っており、1990年代にパソコン通信やインターネットが民間によって急速に広がる下地となった。マイクロソフトやアップルコンピュータといった米国企業が急成長し、ハイテク技術の独占が進んだ。
クリントン時代にはファーストレディであるヒラリー・クリントンの影響から女性の権利を大幅に認めるなど、ブッシュまでの保守的な状況から、ある程度リベラルな方向へ巻き戻す試みがなされた。対外的には、ソマリアの国連平和維持活動が地元民兵に襲撃されて米兵に多数の犠牲を出した事件によって、海外派兵を控える意見が大きくなり、またコソボ紛争によるユーゴスラビアやイラクへの空爆、アフガニスタン・スーダン攻撃は地上軍を伴わない比較的小規模な戦闘で、大きな対外軍事行動による出費がなかったこともクリントン政権には幸いした。
好景気によって繁栄を謳歌したクリントンの時代は、世界が米ソの二極状態から、米国を中心とした一極世界へ向かうものと想像されていた。
現代 (2001-)
次に政権に就いたのは、ネオコンサバティブや、キリスト教右派、ローマ・カトリック、キリスト教根本主義に支持されていたジョージ・W・ブッシュ(先のブッシュ大統領の息子)であった。ブッシュの支持率は当初から低かったが、アメリカ市民は20世紀から21世紀の世紀転換期を、平和と好景気とリベラルの中で謳歌していた。そんなアメリカの目を覚ます出来事が起こる。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件(nine eleventh、September eleventh)である。ブッシュ政権はこの事件を期に支持率を拡大、アフガニスタン侵攻、イラク戦争と言った対テロ戦争をはじめ、大きく保守化の方向へ舵を切った。
こうしたアメリカの強硬な外交政策はユニラテラリズムと呼ばれ、冷戦後に欧州で発言力を増したドイツやフランスなどから批判を受けている。一方、対テロ戦争を契機にイギリスや日本といった国は米国への追従を強め、戦争へ協力するとともに、米国との蜜月関係を築いた。また、ロシアや中国もテロ対策に賛同したが、イラク戦争によって対立へと変わった。2004年に再選されたブッシュは、アフガニスタンやイラクのほかにもイラン、北朝鮮を「テロ支援国家」「悪の枢軸」と規定しているが、イラク戦争が泥沼化し、国内のハリケーン災害が後手に回ったこともあり、強行外交の見直しと軍の再編が行われている。
クリントンによって解決された双子の赤字問題は、ブッシュの強硬な外交政策による軍事費増加によって、まず財政赤字が急速に増加した。また、中国の急成長や、イラク戦争後の統治失敗に伴う中東の不安定化による原油価格の急騰によって貿易赤字も増大している。景気はクリントン時代のITバブルが崩壊して一時的に鈍化したが、続いて住宅人気による宅地造成・建設ラッシュが好景気を招いた。しかし、今後はこの住宅バブルの崩壊が危惧されている。かつて世界一を誇った工業力も、企業が工場の海外移転を進め、また、投資事業や金融に力を入れた結果、産業の空洞化が起こっている。イラク駐留による軍事力の疲弊も重なり、米国の国際力は長期的に衰退する可能性がある一方、産業移転と投資によって中国やインドは工業的に急成長し、原油高によってロシアの経済力も回復した。ドイツ・フランスの周辺国への影響も増しており、冷戦に続く米国の一極構造は崩れつつあるという見方もある。
国家を形成する人種構成も20世紀末から大きく変化した。中南米からのスペイン語系移民(ヒスパニック)が土着し、それまでの白人・黒人のどちらにも属さない新たなコミュニティを形成している。貧しいラテンアメリカから豊かに見えるアメリカ合衆国への人々の流れは増加の一途にあり、黒人人口を上回る地域も発生した。この事象はメキシコと国境を接する各州共通の問題であるが、ヒスパニックが低賃金の新たな労働資源となっていることや、ラテンアメリカ系の商品売買による新たな経済活動の機会となっているため、単純な同化政策を採りづらくなっている。しかし、同化政策の遅れは言語分断を招くなど大きな問題となっている。どちらにしてもヒスパニックは今後のアメリカを左右する重要な勢力になると思われる。米国政府の推測では、2006年10月に人口が3億人を超えたが、これはヒスパニックの流入と、アメリカの合計特殊出生率が安定していることなどによる自然増が要因と考えられている。